~~ パレスチナ問題 ~~
4000年前にこの辺はユダヤ人国家があったがローマ帝国が滅ぼし、ユダヤ人は周辺諸国へちりじりになった。
その後パレスチナ人が国を作って暮らしていたが、第一次世界大戦時トルコと戦っていたイギリスが戦争を有利にする為に、アラブ・ユダヤ双方に対して戦争に協力するのを引き換えに独立国家を認めるという二枚舌外交を行った。
大戦後ユダヤ人がパレスチナに戻り、ユダヤ人によるイスラエルの独立を宣言。アラブ側に不利な国連案に建国と同時に戦争が起こり、以後4度の中東戦争を経験。
アメリカの後ろ盾を得ているイスラエルが戦争に勝利するたびに領土を増やし、パレスチナ人をヨルダン川西岸とガザ地区に追い込み、隔離壁と呼ばれる巨大な壁を作っている
すごく衝撃だった。
エルサレムからバスでたったの30分のところに突如この隔離壁は無機質に建っていた
見渡す限り壁の終わりは見えない。
それもそのはず。現在この隔離壁は400キロ以上にもなり、将来的にはなんと700キロの長さに達すると言う。
この壁を越えるには厳重なチェックポイントを通過しなくてはならない。
ショックだった。今のこの時代にこんな壁が存在する事自体信じられず物凄く衝撃だった。
イスラエルが「パレスチナによる自爆テロを防ぐ」と称して一方的にヨルダン川西岸地区に建設中のこのイスラエルとパレスチナを分かつこの壁。
しかしながらその壁は、イスラエルとパレスチナの境界に建設されているのはでなく、90%以上がパレスチナの中に侵入してパレスチナ人の土地を奪いながら建設されているという酷いもの。
名目は自爆テロ防止だが、その裏にパレスチナの肥沃な土地や水資源を奪い、パレスチナの町と町を分断する、町を分断することで文化・教育・経済などパレスチナ人のあらゆる生活を破壊する目的を持つらしい
チェックポイントを通過し、パレスチナへ入る。
こんな厳重な壁の向こうと言っても、チェックはされるものの行き来は自由だし、貧しいとか治安が悪そうとかは全くない。
パレスチナ側から観る壁は色々なメッセージが描かれている
8mくらいかな。こんなんが延々あるんだもん
自分の地元に置き換えたら本当に堪らないことだな。
市街地のパレスチナは本当にイスラエルとなんら変わらない都市っぷりだった。
こんなまがい物たちも平然と笑いを誘ってくるし
ここパレスチナ自治区のベツレヘムはキリストが生まれた村で、そこに教会が建ちキリスト教の聖地となっている
昔のモザイクの床
この祭壇の下に、イエスが生まれた洞窟教会があるというが・・・
物凄い人
入口こんな小さいのに一切整理する気配なし。
ようやくポイントへ。あの星型のところで生まれたらしい
その後ベツレヘムの市場を通り抜け、乗り合いタクシーでヘブロンという街に向かった。
そこはガイドブックにも載っていない街だけど、やはりパレスチナ自治区の街で壁こそないがパレスチナとイスラエルが隣あってる街という事だった。
ヘブロンの街は思っていたより都会だった。
町の人がどこへ行きたいんだ?と聞いてきてくれても、僕等もどこへ行けばいいのかさっぱりわからない
とりあえず旧市街の方へ歩いてみた。
平和で貧しくないけど、イスラエルとは全く人々のノリが違った。
やはりここはパレスチナ人の地域なんだと実感できる
人々は陽気に声を掛けてくるし
写真を撮ってくれとせがんでくるし
市場も物凄い活気があった。
そして先へ進んだら、2階部分に張られたフェンスが現れた
実はこれを観たかったのだ
さっきの活気ある市場とは打って変わって閑散とした路地。
上に張られた金網にはゴミや酷いとレンガが乗っていた。
これがイスラエルとパレスチナの境界線の路地だ。通りの右がイスラエル。左がパレスチナ
何故ゴミやレンガが乗っていると言うと、イスラエルのが嫌がらせでパレスチナにゴミなどを投げ入れるかららしい。
かつての市場もこの通り
屋上に上ると反対側にイスラエルの生活がみえる。
写真は撮れないが写ってない右に銃を持ったイスラエル兵がいる
境には鉄格子と、有刺鉄線が張られている
そしてなにより衝撃だったのは、建物の2階の屋上からイスラエル兵が機関銃を構えて常にパレスチナを監視しているという事。
物凄く近い所から、銃を構えて監視している。
そこではしゃく子供。何事もないような大人。改めて物凄い世界だった
久しぶりに知らなくちゃいけない世界をまじまじと見せ付けられた。
パレスチナからイスラエルへのチェックポイント。
日本人だとほぼスルーで通れるけど、ここでも銃を持ったイスラエル兵が睨みをきかせていた
こんな事が早くなくなる事を本当に心から祈る